石清水八幡宮は、清和天皇の世に都の裏鬼門(南西)を守護するため鎮座された御宮です。御宮がある峯から連なる丘陵地一帯は「男山」と呼ばれ、かつては男山八幡宮とも称されていました。古くから源氏をはじめとする武家から武神として崇敬を集めてきた御宮でもあります。
 開祖の植芝盛平翁は、数々の日本伝統武術の修行を経て合気道を創始されましたが、その技法の中に最も色濃く影響を残しているのが、大東流(合気)柔術といわれています。
 大東流(合気)柔術は、会津藩(武田家)の御式内・御留流(秘伝)の術として伝承され、遡ると新羅三郎源義光が創始したともいわれています。さらに源流を遡れば古来の手乞(てごい)に行き着き、手乞は相撲の始めともいわれています。手乞や相撲は、男山八幡宮をこの地にお迎えした清和天皇の時代に武技としての色彩を強め、清和源氏に継承されていきます。
 手乞や相撲は古事記や日本書紀にもその由来の記述がみられます。開祖植芝盛平翁は、古事記を深く探求され、合気道の精神・理念に到達されています。
 こうした系譜から、男山八幡宮は合気道と少なからぬご縁があり、そのお膝元に合気道の「場」と「機」を結ぶことができたことは、誠に感慨深いものがあります。
 石清水八幡宮は国宝にも指定される立派な社格の御宮ですが、道場発起人にとっては、幼い頃から節目節目にお詣りをする親しみのある「はちまんさん」です。そうした御宮に見守られながら道場を営めることにも安心感を覚えています。