開設の経緯・想い

 当道場は、主宰の栗山が稽古を重ねてきた「合氣道 枚方無心館」の道場長である永瀬敏勝 先生のお許しを得て、公益財団法人 大阪合気会から委嘱を受け令和3年4月に郷里の八幡市男山に道場を開きました。
 物心がついた頃より30年間八幡市に居住していましたが、子育ての関係で連れ合いの実家のある隣町の枚方市に15年ばかり住まいしていました。子どもの習いごとを奇貨として合氣道に出会い、永瀬先生や諸先輩方にお導きいただき、とても楽しく合気道の稽古をさせていただいてきました。
 子どもも大きくなり、令和3(2021)年に再び八幡市に居を移すことにいたしました。調べてみますと八幡市内では、どなたも合氣道の道場(合気道系諸派含む)を開かれていないことがわかりました。もし15年前に枚方市に移らず八幡市に住み続けていたならば、合氣道にも永瀬先生にも巡り会えなかったかもしれません。言い換えれば郷里の八幡市は、これまで合氣道とのご縁が少ない地であったのです。そう考えたとき、隣町で合氣道に出会い学び、再び八幡市に拠点を得たことは、何かの導きにように感じられ、期するところあり道場を発起するに至りました。
 とはいえ、合気道に入門してから一回りばかりのまだまだ未熟者でございます。今後も永瀬先生をはじめ、諸先輩方の指導鞭撻を賜りながら、この道場に入門されてこられる方と共に、楽しく合気道の研鑽に励みたいと考えております。
 学生時代、少年団体のキャンプリーダーとして携わっていた時期があり、その時に受けた講習の先生が仰っていた言葉が心に残っています「“指導者”ではなく“始動者”であれ」と。どんな人にも自ら動き成長する能力が備わっており、前に立つ者は始動の切っ掛けをつくり誘うだけでよい、という教えです。
 やはり、まだ修業年数が浅く合気道の卓越した技術や蘊奥なる理念・精神をを十分にお示しすることはできませんが、郷里にて合氣道を始める「場」と「機」を設けることが当道場のコンセプトです。当道場への入門をきっかけに、合氣道のより高みを求めて立派な先生の下に巣立っていかれるのも良し、他の武術・武道に進まれるのもまたよいかと考えています。

合氣道 八幡男山道場 道場長 栗山 敦

楽しい合氣道、それが継続の秘訣

 師 永瀬敏勝先生は「楽しい合氣道」を掲げて稽古と道場運営を実践されてきました。合気道の上達のためには、稽古を続けることが大切であり、稽古に楽しさがないと継続することができないというお考えだと思います。当会もその方針を踏襲いたしております。
 もちろん、ストイックに武道・武術を究めんとする稽古スタイルもあろうかと思いますが、当道場ではそれを主たる目的としておりません。武道・合氣道の入口にご案内するのが当道場のコンセプトです。「合氣道の奥義を修得したい」といった指向の方は、他の立派な先生の道場の門を叩かれることをお勧めします。

無理のない姿勢と動きが日常の暮らしに活きる

 美しい竹林の風景は京都の嵯峨野が思い浮かび、美味しい筍の産地としては長岡京市が有名です。八幡市もまた竹が有名な地であり、かのエジソンは、石清水八幡宮周辺の竹林の竹を電球のフィラメント素材に用いて長時間点灯に成功したといわれています。

 当会主宰は、合氣道の技を説明するとき「竹のように」という喩えることが多くあります。竹は地に根を張り真っ直ぐ上に伸びて強い芯をもちながら強風もしなやかにいなします。根を張るように床に足を着け、真っ直ぐな姿勢と強い芯、そしてしなやかな動きは合氣道の技にも通ずる要諦です。

 当道場主宰は、若い頃より腰痛の持病を抱えていますが、その原因の一つは、姿勢の悪さと体幹の使い方のまずさ、そして不要な力みがその原因であったであろうことが合氣道の稽古を通じてわかってきました。合氣道を始めるまでは「自分の姿勢は良い」と思い込んでいて、腰痛予防も含めて10年以上スポーツジムに通い、筋トレにも熱心に励んだ時期もありましたが、痛みから逃れることはできませんでした。今から思うと、ややもすると腰痛には逆効果のことを続けていたと思います。

 合氣道の技は奥深いものですが、フィジカルな部分だけを取り出してひと言で説明するならば、自重の重心の移動から生じた運動エネルギーを効率よく対象物(相手)に伝え作用させる技術といえます。この技術は、日常生活の中で時折に必要となる、重いものを持ち上げる、重い扉を開けるといった体への負荷が大きいと思われる動作にも応用できます。合氣道の稽古で得た身体操法を日常動作に落とし込むことができれば、クオリティ オブ ライフの向上が期待できます。そのためのキーポイントが、竹に喩える「姿勢」「体幹」「脱力」であると考えています。